2018年10月10日
体育の日
本日は「体育の日」のはず。
1964年(昭和39年)10月10日東京オリンピック開会式
敗戦国から高度成長、世界の先進国の仲間入りを大きくアピールした記念すべき日、にもかかわらず10月の第2月曜日が「体育の日」だそうです。
歴史を大切にしない国、国民がだんだんアホになっていく。トップがそうだから仕方ないか・・・
ということで、明日書こう、明日書こうと思いながらも3年以上放置、こんな感じでリスタートです。
2015年05月03日
どれくらい稼げるのか?給料のおはなし〜タクシードライバー〜
僕の入社した「下電タクシー」の求人広告の給与のところには、月給27万〜40万位可と掲載されていました。
27万円というのは、月の売上53万円(税抜き)を達成した時の金額です。この金額に売上が足りないと、給与は減っていきます。
同じ時間タクシーに乗っているわけですから、条件はみんな同じです。この辺は営業マンと同じかもしれませんが、タクシードライバーは、給与が売上に直結しています。
岡山市のタクシー料金は以下のとおりです。
【小型】
基本料金:最初の892mまで470円
以後:304mで80円
時間運賃:1分50秒で80円(停車時および時速10キロ以下の走行時間)
【中型】
基本料金:最初の938mまで480円
以後:281mで80円
時間運賃:1分45秒で80円(停車時および時速10キロ以下の走行時間)
営業所を出て、すぐにお客さんが乗って、300キロ走り続けて、約8万円です。運輸省の規定でタクシードライバーの1日の走行距離は、隔日勤務の場合は350キロだそうです。仮に制限いっぱい走り続けても売上は10万円です。走行距離に対してお客さんを乗せて走る割合のことを実車率といいます。実車率50%以上だと効率的な数字だと言われますが、実車率100%というのは、実際にはありあない数字です。
ということで、1ヶ月の限界売上は約120万円、1年で1500万円弱です。60%がお給料になるとして、最高900万円です。
首都圏と、個人タクシーを除くタクシードライバーで、年収1000万プレイヤーはいないのではと思います。
過去サラリーマンや自営業で年収1000万以上稼いだことのある方にとっては収入面では夢がない仕事かもしれません。
2015年05月02日
就職のご報告〜タクシードライバー〜
とりあえず、ご報告です。
タクシードライバーになりました。
大型二種免許をとったのですが、4月で57歳という年齢では、60歳定年までわずか3年というわけで、バス会社は、どこも雇ってくれるはずもなく、せっかく大金をかけて取得した大型二種免許も、すぐに役立てることはできませんでした。
普通二種がAT限定だったので、免許条件が消えて、晴れてマニュアルミッションのタクシーにも乗れるようになりました。とはいっても今どきMTのタクシーなんてあるのかしらん?
入社したのは、岡山市の「下電タクシー」会社は、下電観光バス(株)のタクシー部になります。勤務先は、下電観光バス(株)、職種は運転手と詳細を説明しなければ、バスの運転手みたいでしょ!その辺のところを狙って下電タクシーに入社しました。(←会社を選んだ大きな理由だったりして!)
以下現在までの流れをさらりと
電話して、履歴書持って面接に行きました。30分ほど話したかな〜「ほんじゃあウチで乗ってみるか!」の一声で、その日の午後、健康診断に行ってきました。
先週の月曜日から、研修が始まりました。研修の詳しいことは、終わってから書こうと思います。
・給与の事
タクシー会社に就職するには、普通二種が必要です。二種免許を持っていない人は、「養成」といって、会社が二種免許を取らせてくれます(免許取得費用は1〜2年以上勤務すると返済不要)。自動車学校に通っている期間も給料がでます。その後も「下電タクシー」の場合は入社6ヶ月間の給与保証があります。金額は1日1万円なので月6日休日、24日出勤だとしたら支給で月24万円になります。もちろん入社早々、売上ガンガン持って帰ってくると、売上の約6割が保証給与を越えると、超えた分お給料もらえます。たとえば3ヶ月目に月50万円売り上げたら月30万お給料がもらえます。
一方、僕のように、二種免許を持っている人は、通常さらりと軽〜く研修を終わらせて、さっそく営業に出るわけですが、僕の場合は、一度タクシー乗務経験はあるものの、10年以上前のことで、さらに生まれ故郷の地元岡山ではなく、ほとんど札幌で暮らしていたことなどから、ありがたいことに、保証をつけていただきました。
保証条件は、「養成」より、ちょいと下回る、入社後3ヶ月の給与保証(1日9000円←1割引)をつけていただきました。もちろん売上が保証給与を上回れば歩合がつきます。僕の場合は「養成」よりも給与保証金額が1割低い24日出勤で216,000円なので月の売上が36万円を越えると歩合をもらえます。2ヶ月目からはぜひ歩合をもらえるようにならなくっちゃ!
タクシー乗務員のシフトはというと、これがいろいろあって複雑なのですが、だいたい4種類の勤務体系です。
1.自由出勤
おもに、定年後年金をもらっている人が、車が空いている時に乗ります。すなわちアルバイトです。売上の約50%がお給料になります。
2.定時勤務
1台の車を、昼の部6:00〜18:00、夜の部18:00〜翌朝6:00の2人で乗ります。会社によって昼の部と夜の部をローテーションする場合もあります。札幌のMKタクシーがローテーション制をとっています。昼の部だけ乗る人を「昼専」、夜の部だけ乗る人を「夜専」と呼びます。下電タクシーでは「夜専」のドライバーさんで1ヶ月の売上が100万を越える人がいます。アバウト1日4万円x25日=100万円です。凄いですね〜!どんな走り方をしているのでしょうか、いつか秘訣を聞ける機会があったら聞いてみようと思います。
3.三人制
2台の車を、3人で乗ります。勤務のローテーションは、各社若干時間帯は違いますがおおむね、1日目(6:00〜22:00)2日目(10:00〜2:00)3日目明け(実質お休み)と2日連続で乗る勤務です。10年前この勤務体系で乗っていたのですが、めちゃきついです。1日目は夜のおいしい時間帯がはじまると会社に戻る時間になりますし、2日目は、夜の仕事が調子出てきたぞって思った時間に会社に戻らないと、次の日のドライバー(相方と呼びます)が定時より早めに出勤する人だと調子に乗って朝まで頑張れません。
4.二人制(隔日勤務)
1台の車を、2人で乗ります。勤務のローテーションは朝7:00〜翌3:00、拘束時間20時間、休憩時間を除くと2日分を1日で働きます。翌日は明けで実質お休みです。
乗務→明け→乗務→明け→乗務→明け→公休→公休
8日間をこんな感じで繰り返します。最後は実質3連休になります。しかし、1ヶ月に乗務するのは12日〜13日になりますので、売上を上げるにはたいへんです。定時勤務の人は2倍の日数乗っているわけですから、1日2倍稼がないと、同じ売上になりません。
下電タクシーは、どの勤務体系もOKなので、僕はこの隔日勤務で働くことにしました。理由はというと1勤務で、早朝と深夜の、いわゆるおいしい時間帯に乗務できること、そして1日、営業成績が、いい日も悪い日も翌日が明けで実質休みなので、気分も体もリセットできることです。1ヶ月のトータル売上的には厳しいかもしれませんが、くじけずに続けていくには、この隔日勤務が良いのではと思いました。
長い目で見ると、そのうち「タクシーの神様」が僕に降りてくるさ〜!と「Take it easy!」な気持ちなのです。
本日はこの辺で
2015年04月09日
2015年04月05日
2015年04月04日
軽自動車ホームレス(番外編)〜世界遺産・姫路城に行ってきた〜
2015年04月02日
歴史認識というか、日本と中華人民共和国と中華民国
70年以上前の歴史について謝罪しろとか、いまだに外交問題になっているようですが事実は以下の通りです。
日中戦争
日本が戦争をした相手は現在の中華民国(台湾)です。当時の指導者は、孫文、後に蒋介石です。第二次世界大戦で日本が敗戦国、中華民国が戦勝国です。
国共内戦
第二次世界大戦が終わって1945年から1949年までの、中国の内戦で敗れて、中華民国は台湾に一時的に政府を置いてから、そのまま現在にいたってます。
結論
第二次世界大戦中での日本の行動で迷惑をかけて謝罪しなければいけない相手は、中華民国(台湾)なのです。中華民国(台湾)は現在、親日か反日か、どちらかというと親日です。東日本大震災にいただいた義援金は世界の国々の中の1番の金額をいただきました。
現在の中国(中華人民共和国)は1949年に出来た国です。その実権を握っている中国共産党に謝罪する必要があるでしょうか?第二次世界大戦中に中国を統治していたのは中華民国なんです。中国共産党の元をたどると現在のモンゴルからやってきた制服者というか侵略者なのです。
もちろん、その侵略者に統治されている国民の皆様には日中戦争から第二次世界大戦にかけてご迷惑をかけたことは間違いありません。かといって中国共産党に謝罪する筋合いはないでしょう。
「日中戦争および第二次世界大戦において、中国本土および台湾にいらっしゃった方々には、当時の愚かな日本の行動によって多大なるご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。」
歴代の首相とか天皇陛下が、「アジアの方々」とさらに範囲を広く過去に何度も謝罪のコメントを述べているので、もうよろしいのではないのでしょうか?
過去にさかのぼってというのならば、モンゴル帝国が日本に侵略しようと攻めてきた元寇(1274年)について、中華人民共和国に日本が謝罪しろって!ローマ帝国やナポレオンや、欧米列強による植民地支配や、歴史をさかのぼるときりがないでしょ!
もうひとつの隣国については、また気が向いたら書きます。
2015年03月30日
徳川のおばちゃん
「徳川のおばちゃん」といわれても「?」だろうと思いますが、札幌「すすきの」歴の長い方ならピンと来ると思います。
あのマンモスキャバレー「エンペラー」で約20年ナンバーワンの地位にいた伝説のホステスさんです。
僕の歳で「おばちゃん」といったら失礼かと思いますが、たぶん僕より10年前後年上かと思います。
なぜ、いまさらこんな時期に「徳川のおばちゃん」なのかというと、ずっと昨年旅をしていて留守中に届いた郵便物の中に「さろん・ど徳川」閉店のご挨拶という葉書を見つけたからです。
「さろん・ど徳川」というのは「徳川のおばちゃん」がエンペラー閉店後に独立して開店したお店で、僕が「徳川のおばちゃん」と初めてお会いしたのもこのお店です。
昨年(2014年)9月30日をもってお店を閉店しました。理由は「徳川のおばちゃん」の健康上の理由だそうです。どうかこれからも、元気でいていただきたいと思います。
僕はエンペラー時代の「徳川のおばちゃん」の伝説は直接は知りません。月間の指名が400本だったとか、毎年書く年賀状、暑中見舞いが何千枚だったこととか・・・
「さろん・ど徳川」へ何回か行っただけで、夜の街好きな方には「徳川のおばちゃん」の凄さがすぐにわかると思います。
昨年の閉店のお知らせの直前の夏にも暑中見舞いが僕のところにも届いていました。僕が最後に「さろん・ど徳川」へ行ったのがたぶん5年くらい前です。たぶんエンペラー時代のお客さんで「さろん・ど徳川」へ一度も行ったことのないお客さんへも、年賀状と暑中見舞いは欠かさなかったのだと思います。その数おそらく1万通を超えているのではと思います。
僕の体験した伝説その1
2度目にお店へ行った時だと思います。僕がお店のドアを開けると、「徳川のおばちゃん」は一番奥のボックスで入り口に背を向けて接客していました。その背中越しに「凡人ちゃん、いらっしゃい〜!○○ちゃんカウンターにご案内して!」そうです、振り返らなくても声と空気感だけでお客さんが誰だかわかるんです。
僕の体験した伝説その2
同伴の飲み屋の女の子といっしょにお勉強のためお店に行きました。お店を出てその女の子と同伴義務を終えて、その翌日、女の子から電話がありました。「凡人さんが帰ったあとに、はじめてのお客さんに指名されたさ!」「徳川ママが送り込んできたお客さんみたい」
そうなんです、同業者を敵にまわすのではなく、全部味方につけてしまうのです。見返りとかじゃなく、みんな幸せになればいいという発想なんです。だからお客さんも同業者も徳川ママのファンになるのでした。
僕の体験した伝説その3
「凡人ちゃん!1000件以上アドレス帳に登録できる携帯ってないの?」「困ってのよね、あまり連絡しない人を使わなくなった携帯の方に移してるんだけどさ」
当時の携帯は確かにアドレス帳1000件制限の携帯が多かったですよね、その後件数無制限(メモリの許す限り)のスマートフォンにしたのかな〜?
2015年03月29日
お金がないから買えないけど、買うなら今しかないデジタル一眼レフ
僕は、「一眼レフ(Pentax K-r)2台持ち運用」の記事の通り「Pentax K-r」の2台運用していますが、その後の発売機種「K-30」「K-50」にどうしても行けなかった理由は、2ダイヤルだったんです。昔「K-20D」を買ってすぐ手放した理由がこれでした。
このダイヤルは、シャッタースピードや絞りを変化させるときに使用するのですが、どうしても最初に背面にある方のダイヤルを反射的に回してしまいます。前のダイヤルはあまり回しません。そこで2ダイヤルあると、絞りもシャッタースピードも調整できるので、結局どっちがどっちなんだ?とわけわからなくなっちゃうんです。
設定で前ダイヤルと背面ダイヤルにどちらを割り当てるかできるんですが、体が反射的に反応するよう覚える前に手放してしまいました。
「K-r」になくて「K-30」「K-50」にある撮影機能が、TAvモードです。これは、シャッタースピードと絞りが固定できて、感度(ISO)を上下して適正露出にあわせてくれるわけです。
たとえばシャッタースピード1/125秒、絞りF8とか固定できるわけです。最近これって便利だなと思ったのが、望遠ズームの「DAL 50-200mm F4-5.6 ED」を買ってからです。いいレンズなんですが、やっぱり開放は解像が甘いわけで、せめてF8くらいまでは絞りたい、じゃあ絞り優先で撮影すればいいだろうと思うのですが、飛ぶ鳥とかはやはり1/1000秒以上でシャッターを切りたい、「K-r」だとどうするかというと、絞り優先で、感度を手動で上げていくしかないわけで、そんなことしているうちの鳥はどっかに飛んでいっちゃいます。
ファインダーの中に鳥を入れてピントをあわせるのは腕でカバーできても、瞬時にシャッタースピードと絞りを合わせることは不可能、最初から 1/1000秒F8とかに固定できるものならばなんて便利なんでしょうって思っちゃいます。
もうひとつ「K-r」になくて「K-30」「K-50」にあるものは、防滴防塵、ダブルズームキットは付いてくるレンズも両方とも防滴防塵です。1度、「K-r」を雨の日にリュックの中に入れて、翌日気付いたらレンズが曇っていてあせったことがあります。(その後、無事自然乾燥で回復)
少々の雨でも気にしないで撮影できるのはありがたいです。
Pentaxのデジタル一眼レフはというと、上位機種の「K-3」と最近出たばかりの「K-S2」ですが、どちらもまだまだお高いです。2本レンズを揃えると10万円超です。
「K-50」って生産終了こそアナウンスされていませんが、そろそろだと思うんです。昔バブっていた頃だったら、たぶん、ダブルズームキットと、ボディーをもう1台買ってたと思います。ボディーは中古で、「K-30」「K-50」のどちらもそろそろ3万円を切るくらいになっています。
それにしてもPentaxは、CANONなら「EOS 7D Mark II」、NIKONなら「D7200」と遜色ない性能のカメラを2台揃えても10万円以下で買えるわけです。(防滴防塵、ファインダー視野率100%という基準で一番安いデジタル一眼レフという基準です。)
ブランドなんて気にしない、写真は腕とシャッターチャンスだよという方は是非!